オリンピックと習い事

今年のオリンピック選手の活躍は素晴らしいですね。元気と勇気をもらえます。ところで、オリンピックの競技を見ていて思うことですが、一つのことに時間をつぎ込んでいるとひとつはその集中し時間をかけた努力は素晴らしい結果を生む可能性があるということと、そしてもう一つは他のことはできなくなる可能性もということです。後者は、それまでの生い立ちの特集をみるとそれぐらいシビアな世界ということですね。しかし、一定期間時間をつぎ込んで、例えば〇〇オリンピックでメダルを取ることのように、ある時点(この期間がそれほど長くないことは重要)までで成果を上げるならばそれは意味のあることかもです。 その目標の立て方は、「  いつまでに何をどこまで  」ですね。 しかし、今の習い事は毎日休みなくではありませんので、オリンピック競技のシビアな世界とはちょっと異なり、「やる気次第」で可能とは思いますね。そろばんでも全国大会優勝や十段をとるを目標とすればオリンピック同様かもですが・・・。

ところで、「習い事」というのは数年しか習わないのが普通です。一生、例えばプロとして、それで生活していくことができるものは長く習い続けるかもしれませんが、そうでない場合は長くても5~6年習う程度でしょうか。その期間にどこまで到達しておくか(期間目標と到達目標)というのはとても大事なことと思います。そろばんも途中でやめてしまう人は別ですが、短い人は2年程度、長い人でも最終的に中学2年ぐらいまででしょうか。その卒業時には、やはり一定レベルまでは到達しておいて欲しいものですね。一つの目安としては、珠算2級以上、暗算2級以上でしょうか。(必ずしも合格でなくても)それもできるだけ早くですね。

しかし、いつまでに・・・の期間の目標があいまいで、さらに、日々ダラダラと流されているような、ただ時だけ過ぎていくような時間の使い方は残念な行動で、成果のない、成果の見えない時間の使い方というのは無駄というか他のことで成果を出したほうがよい状態ですね。ビジネスの世界では、「 機会損失 」ということです。ほかに使っていたら他の方が成果がでていたかもしれないということですね。ただ、いつもフラフラの人やひとつのことをすぐにあきらめるひとは残念ながら機会損失の前にどのようなことでも達成感ややり切り感を持てずに終わる可能性の方が高いのも確かなことです。是非とも、そういう意味で「期限を切った到達目標を持った活動」と「一定の結果を出すこと」をどのような習い事でも大事にしてほしいですね。