小学校では算数の授業でそろばんが始まり、今では、そろばんの先生の出張授業だけでなく、学校の先生もそろばんを教えているところがたくさんあるようですね。川崎市では、8月に学校の先生向けのそろばん研修がありました。
ところで、アメリカやインドを含めていくつもの外国では、そろばんの将来の効用が認められ、たくさんの子供たちがはじめています。インターネットを探すと確かに外国での映像がたくさんあります。日本では、脳トレの一環としてや、フラッシュ暗算がTVで取り上げられたり、能力開発にすぐれた幼稚園や小学校がそろばんを積極的に取り入れているという話や、さらに、目的は違うかもしれませんが学習塾のグループがそろばん教室を併設しはじめており、計算技能としてのそろばんの効果を期待するなどして、そろばんをはじめる人が増えてきているようにも思います。
しかし、その目的やゴールも曖昧なまま習う姿も見られます。実際、少し矛盾する話になりますが、「そろばん教室でそろばんを習うけれども、そろばんというツールは日常では使わなくなる」ということですね。 当教室でも、その点は入学時にお伝えしています。では、なぜ、そろばんを習う人が増えているでしょうか?
やはりその一つは「人間力の保有能力としての計算技能を期待してのもの」と考えられます。(他にも集中力をつけさせたいとかいろいろあるとは思います。)いかに技術が進歩し、ツールがハイレベルになったとしても、人間の能力は鍛えなけば力がつきません。以前にも伝えていますが、逆に退化してしまうものもたくさんあります。 「数感覚」や「文字能力」はその典型ですね。ただ、そろばんで培う、数感覚や暗算力というのは見えにくい技能かもしれませんね。
また、50代あるいは70才台の年配者の方でも遥かにその能力が今でも高いのは、昔の日常での脳の使い方の蓄積からとも考えられます。そろばんを使い、手紙を書き、いまのような計算機がなく、パソコンもなかったことで、その今では文明の利器で使う基礎部分を自分の能力で保持していたことからと考えられますね。 「三つ子の魂百まで」ということかもですね。